ネテモサメテモ。

同人置き場

とある旅人のはなし

※癖強めのオリキャラ(モブ)視点。
ほんのりジャミカリ前提のジャミルメインです。

 

 

_____________________

 

 


「なんでも魔法に頼るのはな、よくないねん」
 
苦しそうに息を吐く御曹司くんに向かって言ったものではない。周囲に向けてだ。
先人たちのアナログ療法に、時代に合わせてプラスされていくのが魔法医学療法だ。これを発展医学と言う。なにごとも、メリットだけの治療法なんてない。できる範囲は科学の力を使う。我が国はそうやって生きてきたおかげで世界一位の長寿国にまでなったのだ。
こんな点滴ひとつ、魔法で補おうとするものではない。まずはその魔法を解除して、手持ちのボストンバッグから祖国から持ち出してきた袋のボトルと、チューブをセッティングしていると周囲が騒つく。なんや、見たことないんか?と、少し威嚇してやる。人間、初めて目にするものを前に怖気つくものなのは分かるが、そうじゃない。そんな得体の知れないものを、大事な若き御曹司様に、ああ。なんておぞましい!喋りはせんが、視線が煩いねん。
 
「さーてと、ほなら、毒解除していこか。当然、手伝ってくれるよなあ?助手くん」
パシッと投げたゴム手を片手で受け取った男は、数年前に比べると背丈も伸びて、顔つきもまた一層男前になっていた。
「誰が助手だ」
男は、口角を上げた。
 
 
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 「おはよう〜ございます〜!しっかし、今日もあっついなあ〜」
 
おはようございます、そうですね。ぺこり。

最近の若者はなんて礼儀正しいんだか!なんて言おうものなら、通りすがりの我が麗しの妹殿に「歳変わらんやろ。お兄ちゃんがジジ臭いだけやで」なんて、返される。おっ、ツッコミの腕上がったんとちゃうか?昨日の M-1見た?なんて、なんて、言いながら、さっきの礼儀正しい若者様の後ろ姿を見やる。片手に釣り道具とクーラーボックス。もう道具を揃えたのかと感心していると、若者様はくるりと振り返った。
 
「地図…貸してくれませんか?」
お安い御用やで!にかっ!毎度おおきに、スマイル0円です!
ドタバタとリビングの奥から付箋だらけのくしゃくしゃの旅行雑誌と地図をひっぱり出してくる。
あまりの騒がしさ「さっさといけ」と妹殿から蹴り出されたのはつい数十分前の話。
 
「オニーサンにも妹おる言うてたよな」
「ええ。」
「どこの世界の妹もあんなもんか?」
「さすがに蹴られたりはしないですけど…反抗期最高潮ならしばらく数年は『ジジイ』呼びされますね。湿布の数も増えますし。」
「なっはっは!!!そりゃえらいこっちゃやなー!」
「…」
ぱちくり。ぱちぱちぱち。瞬き多くない?
オニーサンはスカした端正な顔立ちにそぐわぬ少々おぼこい表情を見せた。

これは我が民宿に来て最初に振る舞った料理を食べた瞬間の顔つきを思い出させる。
もぐ、ぱちぱち、もぐ…美味しい。
この国に来て初めて口にした料理だったらしいそれは、親父が仕事帰りに釣ってきた魚をオレとお袋が丹精込めて調理したものだった。お袋がカレイの唐揚げを作っている間に、オレがタコやイカを捌いて刺身に。生だこを鷲掴みにしたときだけオニーサンはぎょっとしとった。ああ、外国の方は生で食べへん言うとったな、なんて、テレビから得た知識が役立つ。
 
「なんや?どした?」
「…いえ、なんでも…。同じような笑い方をするんだなと…」
「え?何何?誰誰誰と??」
「あ、引いてる」
「あっ!ほんまや!」
水中でぴくりと反応した釣竿の糸を慌てて巻き引く。ぐりぐるぐると、引き寄せると、小ぶりの魚が釣れた。マイワシか。うーむ。ほな、今日はどう調理したろか?
いやそれより、さっきの件がまだ解決してへんな。
ほくほくした顔で持ってきたバケツにマイワシ入れてるオニーサン。笑い方が同じ?一人旅で思い出す?さっきの流れ?
ピロリン!蝶ネクタイ型変成器を付けた見た目は子供頭脳は大人な小学一年生も驚く閃きが浮かんだ。
 
「わかった!妹ちゃんと似てんのか?」
「へ?ああ、さっきの…違いますよ」
「ええ…ほな誰よ〜〜…あー、何?コレか?」
「?」
左手で小指を立てるとオニーサンはこてんと小首を傾げる。ああしもた、これは我が国独特のジェスチャーやったな。うっかりジジイですまんの。同い年やけど。花の19歳、大学2年生や。
 
「彼女」
 
オニーサンの口から大量の唾が噴射されて、オレの顔面にぶち当たった。
 
 
プルゥーハァ!!
 
 
別に、解散済み某人気アイドルグループの曲の冒頭ではない。陽気なピアノもサックスの音も聞こえてこない。シェイクシェイク言よる場合ちゃうねん。ハックションハックションって風邪引くわ、こんな冷たい水道水頭から浴びたら。でもこの蒸し暑さにはちょうど良くて、思わず口からプルゥーハァするのはしゃーないんよ、オニーサン。我が国の民の大多数はこの曲知っとんねん。オニーサンは知らんかもしれんけどね!
 
「すみません…」
外の水道で頭から水を浴びたオレに、しゅんとしたオニーサンがふかふかタオルを差し出してくれる。猫ちゃんやったら耳としっぽが下に垂れてるみたいな顔しとるな。先程顔面にこのオニーサンの唾を全面的に浴びてしまったオレはオリジナルスマイルを見せつける。にかっ!
 
「いやー、かまへんよ!でもオニーサン、淡白そうに見えて意外とウブなんやな!」
「ウ… 忘れてもらっていいですか」
半袖パーカーのフード部分を頭から被り。オニーサンはぷいと視線を逸らした。なんやそれが面白くてオレはゲラゲラ笑ってしまう。
「…妹にデリカシーないってよく言われるだろ、アンタ」
「おっ?よう分かったな!なんや、ジャミルくんはエスパーか?」
「そんな魔法は使えない」
「なっはっは!そうかそうか!」
「はあ〜〜…」
さっきまでしょげてた耳としっぽは見つからない。お、猫被りはやめたんか?フードは脱がへんけど、一人旅を満喫している同い年の若者様は年相応の口調になり、オレの隣に、それはそれは大きなため息を吐いて座った。
近くの自販機で買ってきたのか、冷たいコーラ缶をオレに手渡して、プシュッと飲み口を開ける。
 
ジャミルくん、よー気が効く言われるやろ」
オレが毎日コーラをストックしてんのを、民宿にやってきた2日目の旅人にはなかなか分かるまい。客人が開けられるような冷蔵庫には入れていない。とすると、最初のおもてなしの食事を取った時に、誰がなにを好んで食べて飲んでるのか、頭にインプットされてるんやろ。目がぱちくりと動いていたのはきっとそういう意味もある。
 
「まあな…。そういう仕事を、してた」
「職業柄ってやつか?」
「そんなところだな」
「そういやよー聞いてへんかったけど、4年制の学校卒業して?大学に入るまで間に旅行してんやっけ?」
「そう」
「なんや外国の事情は知らんけど、こっちで言う春休みみたいなもんか?」
「まあ、秋入学だから…サマーホリデーに近いな」
「ほ〜 休みが長いのは羨ましいっこっちゃな」
二ヶ月ぐらいあるんやろか?せやったらオレの夏休みとほぼ同じやな。あと1ヶ月はゆうに遊べる。
 
「何カ国ぐらい行った?」
「ここ含めて3つかな。1週間もしたら出発するが」
「えー、もっとおりぃよ。この国はなあ、北から南、東から西、人種も雰囲気も全然違うねんで」
無宗教派が多いのは知ってる。他民族国家でよくもまあ統一が取れてるものだと感心したよ。その上、地理的に見てもそれほど大きくはない領土なのに、他国からの客を拒まずさらに発展しようとする姿勢には恐れ入った」
「なんやそこまで言われると照れるな!」
「アンタのことじゃない」
「辛辣〜!」
あちゃ〜!とジェスチャーをして見せるものの、ジャミルくんは涼しい顔してぐびっとコーラを飲んだ。気に入ったのか、ごくごくと喉が上下するのが見える
ああ、そうやった。まだ聞きたいことあんねん。
「彼女にもそんな態度しとんか?」
「…」
喉仏がピタリを動きを止め、切れ長の綺麗なおめめがじろりとオレを見やる。これ、ジャミルくんの言う魔法の世界ってやつやったらオレは石化してんで。
 
「訂正しておくが、彼女じゃない」
「エエ…ほな誰よ…。まさかジャミルくん、意外と女の子と遊んでるんか?」
まあ、360度どこを見たって女子受けしそうな見た目、神は何物与えるんや?と言わんばかりの綺麗なお顔を筆頭に、同い年である自分と比べると悲しくて悔しさで出る涙で川が作れるかもしれへん。そこはタコかウツボか人か猫かよーわからんもんが泳ぎそうな、川。
オレはこの季節、短パン、Tシャツorタンクトップ。頭は大学デビュー時から守り抜いてる金髪や。いまちょっと乾いてきて前髪は七三みたいになっとるけど。彼女いない歴2年。高校の卒業式にフラれた。
異国情緒溢れる肌色に、切れ長の目、小さく整った唇、綺麗な筋の通った鼻、シャープな輪郭、ほどほどに鍛えられた体つき、そしてなによりズルいのが黒の長髪である。いまは暑さのせいで雑にひとつのお団子結びなんてしているが、最初に民宿に来たときは丁寧な編み込みにひとつまとめで流していて遠目からじゃただのべっぴんな人や。
顔つきだけならイケメン!という感じなのに、髪のせいで一気に中性度が上がる。どっちにしろ女子はほっとかんやろうけど。
ふー、と、中性ボーイが口を開く。
 
「遊ぶ暇なんてないし、彼女なんていない」
「あー、ほな、好きな子ってやつか?」
「そんなわけあるか!!!」
ギニャ!スタタタッ!
突然の大声に、近くを歩いていた野良猫がびっくりして走り去った。可哀想に。
ジャミルくんはまたコーラに口つけた。ぐびぐびぐび。プハッ!口元ゴシゴシ!すげー音。
「誰があんな能天気で水出すしか能力のないアホでまぬけで鈍感で自分1人じゃ飯も食えないうえに従者に裏切られてもヘラヘラ笑ってあげくにその裏切り者の願いを叶えるべく暇を出すだの吐かすようなボンボンを好きになるんだよ冗談も大概にしろ」
「ジャ、ジャミルくん?」
「デリカシーはないわ、こっちの都合は無視するわ…今まで俺がどれだけ苦労してきたと思ってんだ。なーにが、みんな幸せでいられますように?だよ、反吐が出るわ。お前の基準で幸せ定義すんなボケ。俺を1人旅に行かせれば俺が幸せになるとでも思ってんのか?ああ確かに最初は楽しかったさ、今も楽しいさ。でも四六時中気になって仕方がない。今日は何を食べた?俺以外の飯食えないやつが何を食べるんだよ?朝は誰に起こされてんだ、俺以外の従者か?ターバンは誰が巻く?今まで散々世話してきた俺を押し除けてやれる従者がこの世にいるかよバーーカ!!」
「ステイや!ジャミルくん!」
バサバサバサ。オンギャーオンギャー。
電線に止まっていたカラス達は飛び去り、道ゆくベビーカーに乗せられた小さき命はギャン泣き。さすがにベビーカーの奥様には申し訳なくてすんませんすんません!と頭を下げる。ほら!ジャミルくんも頭さげーや!と、女子受けしそうなイケメン面に向かって頭を鷲掴んで下げさせるのは若干、おもろい。
ベビーカーが遠ざかるのを見て、しばらく、落ち着く。
 
「……好きな子の話じゃないんは、よー分かったわ」
「……」
「なんかよー分からん単語もでてきたな…ジューシャ?あとなんか途中で、結婚したのか…俺以外のやつと…みたいなこと言うとったな」
「……仕事の話だ」
サラリーマンの愚痴とはちょっと違うと思うで?
どうどう、と、さっきまでギャンギャン喚いていたイケメンを宥めてやる。好きな子でも、彼女でも、上司でもない。じゃあなに?
 
「…訂正する、幼馴染みの話だ」
「いや訂正多いな。やっぱり女の子の話やん」
「違う」
女の子じゃないからやっかいなんだよ、と付け足して、もう一度コーラを呷るがさっき飲み干してたん忘れてたみたいでバツの悪そうな顔をする。
あ。ピロリン。また閃く。そういえば、そういうドラマあったな。男性同士が美味しそうなご飯をふたりで食べるだけの。
 
「なに食べたか気になるんか?」
「…あー、あー、そうだよ。気になる。毎日、毎日だ。俺が作ってた。俺が作ったもの以外は食わないって約束させてた」
「ヒュー!なんやそれ!お熱いやんけ!同棲しとったんか?」

「ど…同棲ちゃうわ」

なんや童貞ちゃうわみたいな言い方して。
この旅人は2日目にしてオレの口調がうつってしもうたみたいで、オレの影響力の凄まじさを感じた。彼女はおらんけど。
 
 

3日目の朝。
 
 

朝食を食べて一旦部屋に戻ろうとする旅人を捕まえる。まだまだバカンスは始まったばかりやで?
にっと笑って旅行雑誌を広げてみる。旅人の目の色と態度が明らかに変わった。
 
「…森?」
「ちゃうわ。島や。」
民宿から車で10分走った先の船着場からは近隣の島にいける。中でも我が地元自慢の島にはそこにしかない、最高峰の現代建築技術を余すことなく使った、大きな美術館がある。
ぺらりとめくった記事にあるその案内ページに、旅人は「あ」と、反応を示す。
 
「この絵画…あ、この建築物…、屋敷にあったのと似てるな。」
「は?」
「ああやっぱり、作者も同じだ」
「え?」
「たしかこの絵画は保存が難しいんだ。こんな狭い国で一体どうやって…ああ、だから島に作ったのか。ここの人口は?」
「え?さあ〜… 小学校しかないからな。100人おったらええ方かも」
「なら、静かなところなんだな。この作者の芸術物は少しの足音や衝撃で駄目になるような材料で作られることで有名だ。だから屋敷の廊下に飾るときは来賓がある時だけと決めていて、魔法師を何人か集めて防衛魔法を慎重にかけておくんだ。俺も何度か呼ばれたことがある。しかし、この国に残っているのは医学魔法だけだろう?なんでこのレベルのモノが置いてあるのか不思議だ」
ジャミルくんはうーん、と、考えこむ。難しいことはよー分からんが、美術館をあえて小さな島に作る理由はなんとなく知っている。単純に、美術館を作るほどの土地の広さが、ビルディングが立ち並ぶ本島にはないのだ。
 
「オレは、この絵画がジャミルくんの家にあるほうが驚きやけどな…」
何度見たかわからない瞬きをしたあと、ジャミルくんはくすりと笑った。女子が喜びそうな絶妙なバランスの笑顔だ。
「まさか。俺の家にはないよ」
「じゃあ誰のお屋敷やねん」
「幼馴染み」
「え?!昨日言うとった子の?!なにそれ?!御令嬢?!あ、ちゃうかなに、どっかの御曹司か?!逆玉?玉の輿?」
「ぎゃくた…え?何?」
困惑するジャミルくんを他所にオレは興奮が止まらない。あ、ちょっと引いとんなコイツ。質の高い美術館に飾られるレベルの絵画が廊下にあるって何事やねん。ほんで、その飾り付けに呼ばれるジャミルくんの仕事ってなに?聞きたいことがたくさんある。どこから聞こうか?頭の中で整理する。ああそれより気になったことあった、あったわ。
 
「その子と連絡取ってるんか?」
なんでそんなことお前に教えなきゃいけないんだ、の、顔を見せられた。いやだって、何食べてるか四六時中気になるって言うてましたやん、オニーサン。オレは構わず、続ける。
「せっかく、お屋敷に飾ってるんと同じモン見に行くんやから、連絡取ったらいいやん」
「…行くと言った覚えはないぞ」
フン、と、なんでか意固地みたいな顔も見せる。旅行雑誌の記事見て、あんなワクワクした顔しといてよく言うわ、と少し呆れる。ふう、しゃーないの。目の前のオニーサンには恋のキューピットが必要みたいやな。するり、と、ポケットから現代の最先端文明機器を取り出す。
「なっ!?お前、いつのまに!」
わたわたと、服の両ポケットに手を突っ込み慌てるイケメンを見るんは、やっぱりおもろい。
 
「手ぐせの悪いハイエナめ…」
「ハイエナやのーて、人間様やわこちとら。ほーら、指紋をおくれ」
「返せ!誰がくれてやる…」
ティロン♪
ジャミル、おはよう!此方はいい天気だ(太陽のマーク)ジャミルは今日は何処…』
「最悪だ…」
「ブッ…あはははははは!!」
幼馴染みくんとやらは、最高のタイミングでメッセージを送ってきた。オレはあまりに楽しくて、デリカシーのないお墨付きの笑い声を上げる。わなわなと震えるジャミルくんがオレの手から文明機器を掻っ攫った。親指を画面に当てて、すぐさまロック解除だ。素早くメッセージを確認して、フリック入力
気になって覗き込もうとすると目元を片手でぐぎぎっと押さえつけられた。
おはよう、だなんてやり取り。毎日連絡してないと言うほうが無理があると言うものだ。ただジャミルくんはプライドが我が国イチのあの山より高そうなので、なにを食ったかまでは聞けてないかもしれない。どうせ淡白な返信でもしてるのだろう。だってフリック入力、一瞬で終わっとったし。
片手で顔面押さえつけられたまま、オレは尋ねる。
「なーなー、通話は?せえへんの?オレ、御曹司様と話してみたいわ〜」
身内にも知人にもそんなレベルの人間はいない。御曹司様が普段何食ってんのかも気になるし、そっちの国のことだって気になる。あわよくばお近付きに!という、単なる好奇心だ。
と、思ってたら片手が拳の形となって顔面に減り込んできた。
 
「どこの馬の骨だか分からん奴と、接触させる馬鹿がいるか」
その面は、妹がはじめての彼氏を連れてきたときの親父の顔と似ていた。
 
 
壁一面が白い。
 
 
床も。目の前にある階段も。階段の先にはなにやら神々しい銀色の球体が鎮座している。白い壁には天使の絵画がずらりと並んでいる。ここはおしゃべり厳禁なうえ、ヒールのお客様はお断り。つまり、足音ひとつ立てるのさえご法度なエリアらしい。天井を見上げると、白色ばかりで申し訳ないと思った神様のご慈悲か、綺麗な青が浮かんでいた。白に溶けそうなそれは、間違いなく空を表している。ああまるでここは、
 
「天国みたいだったな」
 
ぼそりと、ロコモコを食べていたジャミルくんが口を開いた。せやな!と明るく返すと、初めて訪れた美術館の余韻に浸っているのか、感慨深そうにゆっくりともぐもぐと、小ぶりなハンバーグと目玉焼きを食べていた。たしかソースはカレー味だったか。美術館の近くにあるこのカフェは、海辺にある見晴らしの良い場所で、ベランダ、バルコニー付き。もちろん先程行ったばかりの美術館の外観だって拝める。注文さえしてしまえば、客が少ないときはどの席に移動したって構わない。オレはタコライスをもぐもぐと頬張る。あと、テーブルにはコーラとココナッツラッシーが並ぶ。ジャミルくんもてっきりコーラを選ぶかと思いきや、栄養価が高いからな、とかなんとか言い訳じみたことを言いながらココナッツラッシーを選んでいた。誰に言い訳しとんねんという言葉を飲み込んだオレには我ながら拍手喝采や。
 
「すごいやろ?自慢やねん、あの美術館は。感動したやろ?」
「ああ」
素直にこくりと頷き、最後のひとくちを食べ切る。そうや!と、オレはにやりと笑う。
「その感動を〜、大好きなあの子に伝えたらどうや?」
「そうだな」
「おっ」
意外な反応にオレは少し驚いた。ここに来るまで頑なだった男が、何故か素直になっている。一度天国に足を踏み入れたせいか、浄化されたんか、憑物が落ちたみたいな顔して。ジャミルくんはご馳走様でしたをすると、ココナッツラッシーを片手に、バルコニーまで出た。外はまだ暑いけど、吹き抜けてくる潮風は気持ちが良い。あ〜!気になる!例の御曹司と通話をしようとしている様子が気になって、オレも急いでタコライスを食べ切る。ガツガツガツ。あっ!ちょっと器官に入ってもうた!コーラで慌てて流し込んでいると、ジャミルくんの声が潮風に乗って聞こえてきた。
「……そうか、問題ないんだな、食事は……」
『〜〜…!ーーー、!!』
「目を疑うほど、綺麗な場所だよ。初めて見た。熱砂の国にはあまりない文化だな。絵画?ああ、屋敷にあるのとは少し違ってた。いくつ出回ってるんだろうな。旦那様の耳に入れば、簡単に買い付けできるだろう」
『ーーーー、?』
「あるべき場所にあるから、価値がある…か」
お前はそう言う奴だったな。
バルコニーの手すりを背に、空を見上げて、ぼそり。オレはコーラ片手に隣につき、によによと、ジャミルくんを見る。
なんや、会いたい、みたいな顔してからに。って思って見てたら、ジャミルくんはムスッとしてた。なんや、素直な時間はこれで終わりか?
『ーー、ーー?』
「いや、うん、なんでもない…輩に絡まれててな…」
「誰が輩やねん」
コーラをぐびっと。ジャミルくんはスマホを下げて、オレをじろっと睨む。
「ちょっと黙ってろ」
「そんなに御曹司くんの声聞かれたくないんか?」
あー、やだねえ!独占欲強い男はー!
大声を出してみると、スマホからなにやらこしょこしょした声が聞こえてくる。ジャミルくんは再びスマホを耳に当てて、なんでもない、と答えている。
「もう切るぞ。お前も忙しいだろ…は?」
ピキッ。こめかみに、ムカつきマークがうっすら浮かぶ。
「オクタヴィネルの連中とは関わるなってあれほど言ったろ!は?新メニューの開発に?毒見役は誰が…おい、まて、誰が誰を信用してるって?はあ?クッソ…」
『ーー、??ーーー』
「駄目だ。俺が信用できない。早めに此処を発つ」
『ーーー!ーーーー、』
電話口から汗のマークが飛んでるみたい。さっきまでの甘い声色が一気に急降下して、轟くような声色に変わる。ジャミルくんはブチっと通話を終了させると、ついてたストローを無視してココナッツラッシーを一気に飲み干した。
 
 


あ〜、しもうた!
 

 
頭を掻き毟る。
オレはこう見えて計画的にお勉強の予定を立てているタイプなんやが、同い年の旅人と遊ぶのがここ数日、どうも楽しすぎてお勉強ノルマをひとつクリアできていなかった。
腐っても魔法医学部2年生。将来は小さな島で診療所開業。細々と暮らしたい。リビングの机に向かって、書籍を広げ、あーだこーだと騒ぐ。また妹殿に舌打ちされた。おにーちゃんは悲しい。
机に突っ伏してると、トットッ。客人用の部屋の階段から足音が聞こえた。
ばっと、顔を上げると、ゲッとした顔のイケメン。
「おはよーございます」
「…おはよう。何やってるんだ」
「お勉強や、お勉強!サボりすぎたんよなあ〜」
ほれ!と、ノートと参考書を広げてみる。ジャミルくんって頭ええんやろうけど、さすがにこれは専門外やろ?と、ちょっと意地悪な気持ちを見せてみる。切れ長の目が左から右へ。書かれてある文字を流し見ている。
「魔法医学か… 性質を変えて浄化させる?」
「せや!まあ、例えば、薬ってどんなもんでも少量の毒が入ってるやろ?まずはそれを専用の試験管に入れて分解して視覚魔法をかけてやると毒だけ色がついて浮かび上がる。色、性質ごとに仕分けて、浄化魔法をかけてどこまで洗浄されるか調べるんや。まあ今のところ不純物を完全に浄化させるような高等魔法は発見されてないんやけど、オレの大学の院生と教授のプロジェクトチームが研究しとる最中や。いまは薬だけの話やけど、上手くいけば近い将来、数年以内かな。人体にも応用することが可能や。」
「それは…つまり、体内に入った毒も浄化できるのか?」
「何年先になるかは分からんけど、今の我が国の技術研究ならできんことはないやろな」
「長年蓄積された毒であっても?」
「せやな。高等魔法が使えるお医者様なら、多少複雑にはなるが取り除くことはできる。…なんや、ジャミルくん、食いつきええな」
「4年制の学校に通っていたと言っていただろう。そこで毒薬を専門として作る授業があったんだ」
「げえっ。また難儀な…まあでも、多少の毒も必要ではあるけど…」
「…必要な毒か…」
「とゆーわけで、今日はお勉強のため、一緒にお出かけできません!あしからず!」
「心配するな、全く気にしてないから。今日は土産を物色して、明日発つ」
「ええっ!?明日?!1週間ぐらいおる言うてたやん!」
「急な予定変更は旅のお決まりだろう?じゃあな」
フッ、と笑い、気ままな旅人は出かけて行った。オレが前日に渡したおすすめお土産スポット巡りと書かれた地図を手にして。
 

 
旅立ちの日。
 
 

お世話になりました。

両手にぎょーさんの手土産抱えたジャミルくんは、オレのお袋、親父、妹にぺこりとお辞儀をした。イケメンがいなくなるっちゅーことで、お袋と妹なんかはな
んとも寂しそうな顔を見せていたが、困ったように微笑むジャミルくんを前に、また、ぽうと頬を赤らめていた。女子受けするって徳があってええの、と、親父とオレの男性組は内心舌打ちをする。そりゃあ、同性としてはおもんないっちゅーもんや。
ぶーすか拗ねていると、ジャミルくんは懐から、これ。と、紙切れを手渡してきた。
 
「なんや?連絡先?なんやー、ジャミルくんも案外可愛いとこあるやん!」
「別に他意はない。ただ、これから繋がっておくには悪い相手ではないと思ったからだ」
「なんやねんそれ〜」
ジャミルくんのお家事情は結局あんまりよー分からんかった。短い間やったけどオレのことはなんとなーく、少し信用してくれたみたいなんは分かる。
 
「まー、いつかジャミルくんにも会いにいくわ!そんときは御曹司くんも呼んでや!」
「誰が呼ぶか、バーカ」
最後まで、辛辣なままの旅人は、舌をべえっと出して、片手をひらりと上げると祖国へと帰って行った。
 
 

 

__と、まあ、ここまでが、オレが19歳の時の話や。
 


小さな手に鼻を掴まれて、ふがっと、うたた寝から目が覚める。目の前の可愛い可愛い天使は、オレと目が合うとふんわりと笑った。
「おでんわ、きたって、ママが」
「おでんわ?患者か?まだ診察時間ちゃうぞー」
「しんしゃつ、じゅかん」
「あ〜まだいえんのか〜」
「きゃーっ!」
抱き上げてその柔肌にぐりぐりと頬をすり寄せると天使はキャッキャと笑う。嫁に出したくない。まだ見ぬ未来の旦那様に嫉妬すら覚える。まだ5歳やぞ。
リビングのソファーからよいしょと起き上がり、あなた、と呼ぶ奥さんの元へ。スマホが手渡された。着信あり。市外局番は国際電話番号だ。留守電も入ってる。登録された番号だ。ん?と、小首を傾げながら、再生ボタン。
 
『もう、忘れているかもしれないが…』
 
約10年前、家族でもてなしたあの若き旅人は当たり前だがオレと同じように歳を取っていた。
家族で細々と営んでいた民宿。いまは妹が継いでくれている。外国からの客人なんて珍しいものだから、忘れるはずはなかった。ただオレも忙しく最初は連絡のやりとりしていたが、徐々に薄れて行って。気がつけばオレは無事医者に。勤務医を経て、診療所所長、妻子あり。そんなオレに連絡するって、何事やとは思う。
 
『報酬は…そうだな、3人家族が60年は暮らせる額だ』
ゲッ、と顔を歪める。こいつ、オレの素性完全に調べ上げとんな。敵に回したら怖い、と、脳裏に刷り込まれるには十分や。
そして最後に、
 
『診療所は明日からサマーホリデー、いや、"オボンヤスミ"だろ?チケットの手配も済ませてある。明日、空港で、名前と行先だけ伝えて、プライベートジェット乗り場まで来い。あとは魔法ワープができる空港を経由する。乗り継ぎは1度、所用時間は24時間。頼んだぞ』
ブツッ。
なんとも自分勝手な言い分である。オレのオボンは明日から家族でサマーバケーションだったんだよ。どうしてくれる?物わかりのいい出来すぎた奥さんは仕事なら仕方ないと言う、娘はさすがにギャン泣き。覚えてろよ、と、今の顔は知らないが昔の旅人に向けて舌打ち。60年分ぐらいじゃ足りひんねん。
 
とりあえず、いまのままでは現状がわからん。電話をかけ直し、やいやい言いながらボストンバックにあらゆる器具と知識を詰め込む。
ただの田舎の町医者に、他国の大富豪御曹司の側近様に役立てることなんぞあるか?聞いてみると、側近様は、オレが院生の時に発表した論文を読んだと言った。
どこで手に入れたんとか、まあ、言いたいことも聞きたいことも、まだ山ほどあるが、オレは空港に向かうことにした。
 
 

一度の乗り継ぎを経て降り立った大地は猛暑に次ぐ猛暑。
 
 
にも関わらず、人々は陽気。
噴水の水を浴び、踊る子供達に、露店が並ぶ観光地。まー、帰りにお土産でも買うて帰ろうか。
じりじりと照りつける太陽を浴びながら突っ立っていると、黒塗りベンツの姿がお目見え。運転席から現れた運転手は後部座席のドアを開いてぺこりと、お待ちしておりました、さあどうぞ。
オレは早く車内の冷風を浴びたくてするりと座り込む。VIP待遇かなんか知らんが、一刻を争うんと違うんか?運転手のあまりに優雅な所作に小首を傾げるのであった。
 
着いた先は宮殿?テレビでしか見たことのないような大豪邸。もはや入り口がどこかも分からんくて、目の前の人に促されるまま歩くだけ。うわ、廊下は全部大理石。壁に天使の絵画はないが潔癖を思わせるその空間はあの日見た美術館のおしゃべり禁止ゾーンで間違いない。道ゆく人は足音ドタバタ。
キイ、と重厚そうな扉が内側から開かれ、中からようやく見知った顔がお目見えする。
 
「まー!男前にならはって!元気しとったか?」
「いま俺のことは、いいから。ついてこい」
再会にハグをするわけでもなくぶっきらぼうに答える男は、昔のあの長かった黒の艶髪をすこし切ったようだ。前髪の右側だけ垂らして、まあなんというか、相変わらず女性が卒倒するような色っぽい目つきをしている。一体何人の女性を罪深く落としてきたのかは知らんが。
男に付いていくとまたもや重厚な扉、扉、扉。開くたびに部屋の中の人の数が減る。ダンジョンやったらラスボス前のシーン。
熱砂の国の大富豪の事情は国際ニュースでしか知る由はないが、なるほど、御曹司くんに会うにはなかなか気軽に、とは言えないようだ。外も中もガッチガチの警備で、装備なしのただの異国の町医者が侵入していい領域は優に超えている。目の前の男がいなければこんなに簡単に辿り着けることはないだろう。いやはや不思議なご縁だ。
最後の扉が開くと、部屋の奥の豪華絢爛な装飾が施されている寝床に、昏睡状態の御曹司様がいた。
 
「10年以上前にも同じことがあったんだ。あのときは2週間…いまは、これで、3週間だ」
「状況は?」
「昔に比べると、時折目を覚ましては浅い呼吸をする。意識はあるようだが、声までは出せない。おそらく声帯になんらかの制限がかかっている。一応呼吸器系の魔法はかけてはいるが…」
「栄養剤はどうやって入れてんや。動けへんのやろ」
「ああ、それも魔法で調合した物を口から…水で流し込んで入れている」
「入れ方は?それも魔法で、か」
「ああ」
「ほなちょっと失礼するで」
ボストンバックから、小型のライト、ピンセット。
すうすう眠る御曹司くんの目下に親指を乗せ、人差し指で瞳を開く。綺麗な目玉だが、この紅は。
 
「御曹司くんって、生まれた時からこの色してんのか?」
「そう、だが…」
「そうか。せやったら、今まで苦労してきたんやな。…なあジャミルくん。昔話したことあるやろ。薬には少量の毒があるって」
「…ああ。」
「薬に視覚魔法をかけて毒を検知した時に出てくる色は様々や。蓄積された分、色は濃くなる。濃度が薄ければ透明、濃ければ赤。御曹司くんはその上やな。元々の赤色に、黒が混じってきよる。あとは…うん、黄色やな。相当な種類の毒が蓄積されとるみたいや」
「ッ、」
カチッとライトを閉じて、胸ポケットにしまうと、ヒュッ、と息を飲む音がした。なんや、心当たりでもあるんか?と、視線を送ると、周囲に控えとる人たちの顔は青ざめていた。
そういやジャミルくんが昔、毒味がどうのこうの言うてたな。この間の国際ニュースは、夕焼けの草原の国、第二王子が最年少外務大臣に任命されたテロップが流れて、熱砂の国で行方不明だった女児が見つかったニュースが次に流れる。プライバシー配慮があまりないのか、スポンサーの関係上か、女児は大富豪の初孫だと言う情報まで流れた。怪我もなく無事に見つかったからよかったものの、同じ年頃の娘がいる立場のオレからすればなんときな臭い国なのかと思ったもんや。そこで思い出したのが毒味云々の話と、今目の前にいる黒の混じった瞳を宿しつつある若き御曹司、まあ、この情報だけでお国事情はなんとなく察することはできる。ジャミルくんはハッキリとは言わへんかったけど、俺の察する能力だけは買ってくれとるみたいやな。
青ざめている人たちを他所に、ジャミルくんがハッとする。ん?と、オレも覗き込むと、御曹司くんが唇を薄ら開いて酸素を取り入れているのが分かった。
それは徐々に苦しげな呼吸に変わる。
 
 

「なんでも魔法に頼るのはな、よくないねん」
 
 
苦しそうに息を吐く御曹司くんに向かって言ったものではない。周囲に向けてだ。
先人たちのアナログ療法に、時代に合わせてプラスされていくのが魔法医学療法だ。これを発展医学と言う。なにごとも、メリットだけの治療法なんてない。できる範囲は科学の力を使う。我が国はそうやって生きてきたおかげで世界一位の長寿国にまでなったのだ。
こんな点滴ひとつ、魔法で補おうとするものではない。まずはその魔法を解除して、手持ちのボストンバッグから祖国から持ち出してきた袋のボトルと、チューブをセッティングしていると周囲が騒つく。なんや、見たことないんか?と、少し威嚇してやる。人間、初めて目にするものを前に怖気つくものなのは分かるが、そうじゃない。そんな得体の知れないものを、大事な若き御曹司様に、ああ。なんておぞましい!喋りはせんが、視線が煩いねん。
注射針も準備完了。
同い年と聞いとったけど、それにしては細っこい腕を手に取り、血管を探り当てる。
 
「ちょっと我慢してな。チクッとするで」
「は、は、はぁ、あっ、」
「はい、終わり。これでちょっとは楽になるから心配すんな」
「はあ、は、ふぅ、はあ」
「そう、そう。深呼吸。」
「ふ、う…」
「よーし、ええ子や」

御曹司くんの口から、やがて正常な呼吸音。規則正しく上下し始めた胸元。
彼の側近くんは、それを確かめてから周囲の人払いを始めた。なんや、久しぶりの再会でも、寝食を共にした相手でも、御曹司くんが安全だと分かるまでは信用もされんってか?
オレを呼びつけて置いて、相変わらず辛辣な男やで。
 
「さーてと、ほなら、毒解除していこか。当然、手伝ってくれるよなあ?助手くん」
パシッと投げたゴム手を片手で受け取った男は、数年前に比べると背丈も伸びて、顔もまた一層男前になっていた。
「誰が助手だ」
男は口角を上げた。
 
あの頃のオレはまだ医者にもなってないし、高等魔法なんて習得してやいなかった。何年研究しても濁った毒を完全に洗浄する高等魔法は作ることができなかった。でも誰しもができへん難解なモノこそ、主人公気質が刺激されると言う物だ。簡単にラスボス倒せたらおもんないやろ?院生に上がった年、オレは研究プロジェクトに参加した。そうして卒業する年には、見事、体内にも応用できる高等魔法の証明を果たしたのだ。論文をまとめることと、そのあとの大病院からの引き抜きのスカウトを断るほうが大変やった。経験やからと、数年は勤務医暮らしをしていたが、オレは小さな島で研究を繰り返す傍ら診療所で細々とやっていくほうが性に合ってた。たまに民宿の手伝いで魚捌いて飯を鱈腹食べて客人をもてなす。
のんびりとした人生が合ってんねん。
体内に洗浄魔法と相互作用のある液状の薬を点滴を通して流し込み、外側から訓練された魔法医師にのみ許される高等魔法をかけてその薬に吸収させる。途中、患者は大量の汗をかいたり、稀だが副作用を起こすこともある。こちらは治療に専念するため、助手は最低1人は必要なんや。
 
「そもそもや。お抱えの医者はなにしてんねん。ここまで蓄積を放置できるもんなんか」
頭の先から足の先まで、まあ随分と濁っている。さすがのオレも少しくらりとよろけるぐらい。優秀な助手が口を開いた。
「買収されていた。治療も満足にされていない。でもこいつは多少のことならと我慢する性格が災いしてな…気づけばいつもこうだ」
買収て。こいつて。
「それにこの国の魔法医学はアンタの国とは比べられないほどに程度が低い。俺は世界をこの目で見るまで知らなかったよ」
諦めたように笑う目元が、なんとも寂しい色をしとる。
 
「買収されとったって外部に優秀な医者はぎょーさんおるやろ。それを連れてきたら…」
「それがアンタなんだよ」
「は?こんなしがない町医者風情が?」
「だからだよ。この国で信用できる人間なんて…」
「え?」

「カハッ…!
「カリム!」
「よっしゃ、出てきおったな!」
御曹司くんの口からこぽりと出てきた濁った液体の塊をピンセットでひょいと摘む。まー、すごい泥色や。あと何回出てくるかな。出てくるたびにダストボックスへ。おかえりはあちらや。
 
「だいぶ顔色がようなった。たっぷり寝て、ご飯食べたらあとは日にち薬や。毒は完全に取り除けたからもう心配すんなや。おつかれさん」
すう、と、眠る御曹司くんの額の汗を拭ってやる助手くんに声をかける。助手・ジャミルくんは、安心したような柔らかな表情を見せた。そや、それが何年も前に見たおぼこい顔や。
オレはひょいとひょいと、器具を片して、ボストンバックの中を整理していく。
 
「…すまない、助かった」
「お、なんや?素直になったか?」
「ありがとう」
ジャミルくんがオレに感謝を述べる日が来るなんて!明日は大雨か?」
「ちょうどいいかもな。ここ数週間、全く降っていないから」
「ひえ〜… 熱砂、なめとったわ…」
地獄やん… おかしいな、水道事業に関しては世界屈指のレベルって聞いとったけど。あーあ。はよ帰って、クーラーの効いた我が家で、愛おしの家族とアイスでも食べたいもんやわ。
帰りの白塗りベンツの運転は、ジャミルくん直々。安全第一で几帳面なそれは、オレをうたた寝させるのに十分やった。
ついたぞ、の声で、降りて、空港までのお見送り付き。
 
「次は元気な御曹司くんに会いにくるわ。まともに話せてへんし、経過も気になる。まあ他にも色々と気になることもあるけど」
なっはっは〜と笑って見せるとジャミルくんにも笑みが溢れた。
 
「報酬が60年分じゃ足りないかもしれないから、次は俺があいつを起こして連れて行くよ」
「いやまって…それ、国際ニュースになるやつやない?大丈夫?」
「大丈夫だろ」
べっと、舌を出して見せるおぼこい顔は別れ際に見る定番になりそうだなとぼんやり思いつつ。ほなさいなら!と片手を上げて飛び立った。
 
 
______

―いや、なってるやん…
 
 
家族団欒のご飯どき。
白髪の増えたお袋と親父と、妹と、奥さん、娘。今日も釣れたてお魚のイキのいいお刺身と地酒を手に。
視線の先の買い換えたばかりの何十インチのテレビは、熱砂の国の有名アパレル産業を主に手がけるトップ、CEOを始めとした各国の世界経済の中心を担う民間企業のお貴族様たちが経済に関する意見交換会で凱旋訪問。我が国の首相と晩餐会。のニュースを流す。
そこでチラリと一瞬映ったのは数ヶ月前に極秘に助けた御曹司様とその側近様。
 
「く、くる…!」
奴らが…!
「あなた、昨日のホラー映画まだ引きずってんの?」
「いや、いや、いやいやいや…!ホラーより怖いかもしれへんで…」
 
 
えっぐい黄金のピアスにリングにネックレスにターバンに?疎いオレでもわかるほど超高額なそれに、頭の先から爪先までキラキラしたオーラ。装飾品なんてめちゃくちゃゴテゴテしてんのに、顔立ちのせいか下品さは一切ない。大富豪の御曹司というよりどちらかというと芸能人に近いかもしれん。
熱砂の国は美人が多いとはよく聞くが、男性も負けじと美丈夫が多い。と言っても、やはりこの装飾品よ。この小さな島ではおおよそ似つかわしくない。近所のばーちゃん見たら腰抜かすで。
これは側近様のミスやな。TPOっちゅーのをわきまえないかんよ。
どんな出立で来られても困るからと船着場まで来てみると、まあ当たり前のようにプライベートクルージング。そもそもうちの島にそんなもん停められるとこあったか?とおもう。結論としてはあった。最近、観光業に力を入れている。主にあの美術館を軸に、だ。
 
「あー、えーと、はじめまして?」
頭をぼりぼり掻きながら手を差し出すと、そんな汚ねえ手を差し出してくんなと、側近様がこちらが石化するような目つきで睨んでるので引っ込めた。

「初めまして!挨拶が遅れてしまって、本当にすまない。命の恩人だというのに、ろくに謝礼も渡せずに…」

「いやいやいや、謝礼ならもろてんで。そっちの蛇…ヒッ!ジャミル様に!」
ジャミルに?」
知らんかったんか、こてん?と小首を傾げて同い年とは思えへんほどの、かわいらしい声音でその名を呼ぶと、御曹司くんと目が合ったジャミル様はオレに向けた石化する目線じゃなく、ふんわりにっこり、なんともまあ、ぺろぺろする餌貰ったときの黒猫みたいな瞳に戻る。さっきの蛇は幻覚か。幻覚やな。よし、解散。
 
「さすがジャミルだな!仕事が早いじゃないか!」
「お褒めに預かり光栄です」
ジャミル〜。堅苦しいのはナシにしようぜ!今日は完全プライベートだ!」
「はあ…まったくお前はこれだから…」
「だからこうして2人きりで来たんだろ?その…せっかくの久しぶり、なんだしさ…」
キラキラキラキラ…
ま、まぶし〜!なんやこれ。オレ視界に入ってる?入ってないよね。
オレの平凡な国産車の後部座席に、麗しの貴族2名様乗車。狭いことをいいことに、イチャつくなよ。
 
「アンタら、オレの家族の前でそーゆうのすんなよ頼むから…」
「心配しなくても宿は取ってある。せっかくの"オボンヤスミ"を台無しにしてしまった償いをしたらさっさと帰るさ」
ジャミルくんは、流れる景色を少し窮屈そうにしながら窓から眺める。

「楽しみだなー!なあ、娘がいるんだろ?何歳だ?」
「5歳だよ。もうすぐ6歳」
「そうか!じゃあ俺の子と同じくらいだな!今日は色々と遊び道具も持ってきてて…あ、俺の子、アーティカっていうんだけど、通話するのすごく楽しみにしてるんだ!」
「そりゃいいな。この島に同級生がいないから、うちの子も喜ぶわ。」
しかも女の子だなんて知ったらもっと喜ぶやろな。お友達になれるとええな。
 
とか思ってたけど。

貴族階級2名様を玄関で出迎えたうちの天使の様子がおかしい。みるみるうちに頬が桃色に染まり、オレの後ろにもじもじしながら隠れはじめたことで察する。
対象は蛇か、御曹司くんか。チラチラ…チロリ…サッ!あ、御曹司くん。
御曹司くんは、娘の背丈に合わせて、腰をかがめて、目線を合わせて、なんとも優しそうな瞳で。
 
「はじめまして?」
 

娘のまんまるとした頬がぽっと、さらに赤く染まったのが分かった。


「許さへんでーー!」

娘こと天使を抱き上げてシャー!と御曹司野郎に、威嚇する。
 
「どこの馬の骨か分からん奴に娘はやらんぞ!!」
「アンタより素性は確かだけどな」
「蛇は黙っといてくれるか!」