※転生後ジャミル×ドール(人形)カリムの物語。カリム以外の登場人物に前世の記憶があります。
友情出演・オクタヴィネル。
Doll specialty store ⁂ Octavinelle
Dolls【ドール】
人形。オーナー(所有者)と契約することで人間と同じ生活を営むことが可能。生殖機能も老化現象もないが、オーナーが死亡するとその数日後に心臓の歯車が自動停止する作りとなっている。
***
今日もあの人は笑ってくれない。
朝の9時と、それから正午。オレの身体は、特定の時間になると自然に動き、踊り始める仕組みで作られている。店内の音楽に合わせてディスプレイの中でステップを踏んでいると、ガラス越しに見える人達は通り過ぎる人もいれば、わざわざ足を止めてオレが踊り終えるまで眺めてくれる人もいる。時々、同じように踊って楽しんでくれる小さな子供や、目尻を下げて嬉しそうに見上げてくれる老人、朝の通勤ラッシュで足を止めて見入る人、昼は休憩がてら昼食のパンを手に、オレを見てくれる人までいる。それがうれしくて、たのしいから、踊ることは大好きだ。一日中そうしていたって良いぐらい。
オレを作ってくれたジェイドとフロイドが言うには、一日中踊り続けるのは身体への負担が大きいので難しいと告げられた。オレは人間のようで居て、人間じゃない。踊っていたって筋肉がつくわけでも、身長が伸びるわけでもない。少し寂しいと思わなくはないけれど、自分のできる範囲で人がオレの姿を見て楽しそうに手拍子をしてくれる様子を見るのは生きがいを確かに感じられた。それにこの店で作られたことは誇りに思っている、今のままで十分幸せだ。
でも少しだけ、引っかかることがあった。
毎朝、同じ時間に店の前で足を止めるあの人。長い黒髪が綺麗で、いつも卸したてのスーツを着ていて、タンブラーを片手にこちらを眺めている人。いつも難しそうな顔をしている。時々、睨んでいるようにも感じるその視線を浴びながら、たまにステップを踏み間違えてしまうことがあった。あの人の視線に気づくと、どうしても、心臓の歯車の鼓動が乱れて、足がもつれてしまうことがある。なんとか立て直して、音が止むまでは踊り続けるけれど、踊り終わってお辞儀をして頭を上げると、拍手をしてくれる人ごみの中でその人は静かにこちらを見つめるだけだった。笑った顔も、嬉しそうな顔も、一度も見たことがない。
(何が悪かったんだろう)
気に入らないことがあるんだと、思う。ミスが許せないのか、ディスプレイのデザインが嫌なのか。
それとも、ドールであるオレ自身のことが癇に障るのかー。
(ドールは人に好かれることが前提で作られてはない。オレのように意志を持つドールを中古品と呼び、好まない客層だっている。それでも、あの人をいつか、笑わせてみたい。だって、笑えない人生なんて、楽しくないじゃないか。そう思うのは、傲慢だけど、それでもー。)
―Ⅰ―
「カリムさん、今日もお疲れさまでした」
店主のアズールはディスプレイの扉を内側から開いた。扉が開かれて、カリムはヒール音を鳴らして、店内に戻る。ここはドール専門店、オクタヴィネル。店内には、契約を交わすためのカウンターとショーケースに並ぶドールのパーツしかない。シンプルな造りは、高級志向の客層しか想定していないからだと、昔アズールから聞かされたことがあった。
「ラッコちゃん、メンテの時間だよ~」
店奥にある応接室から出てきたフロイドから、なにやら甘い香りが漂う。すんと、鼻先を着ている白衣に寄せると、くすぐったそうにフロイドは笑った。
「あ~、ばれちゃった?お茶してたんだあ」
「今日はトレイさんから新作のケーキを試食として頂いたものですから・・・」
フロイドの後ろから、顔を覗かせたのは同じく甘い香りを漂わせている双子のジェイドだった。見た目のわりによく食べる(と、アズールは恨みがましく言うことがある)この双子のドール職人は、休憩の合間でカリムに内緒でよくお茶をしている。ほとんどが内緒にできていないのは、口の端についたクリームのせいだ。
オーナーが居らず、人と仮契約も交わしたことのないカリムは、声帯も体温も持たない。人間が食べるものは口にしたことがなく、唯一あるのはたまに淹れてくれる紅茶だけだ。臭覚や味覚、痛みは感じることができる。また二人だけで美味しそうなものを食べてたんだなあと少しだけ落ち込むような素振りを見せたカリムに、フロイドとジェイドは目尻を下げて笑った。
「カリムさんもそろそろ、食べられるようにはなりますよ」
その様子を見ていたアズールがにこりと笑う。真意が分からずに小首を傾げていると、閉店の札を掲げていたはずの扉の鈴がちりん、と鳴った。
「仮契約が近い、という意味ですよ。どうぞ、入ってください」
アズールが声を掛けると、秋先の少し冷たい外気の風と共に、入ってきた客。
(・・・・・・!)
カリムはその人物の姿に、大きな目を見開いた。
「ようこそ、オクタヴィネルへ」
「お待ちしておりました」
「相変わらずじゃ~ん」
「・・・・・・」
交わされる視線にカリムは戸惑った。アズール、ジェイド、フロイド、それから、入ってきたばかりの客。その人は相変わらず笑ってはいなくて、後ろ手にドアノブを閉めると着ていたロングコートを脱いだ。少し寒くなる前によく見かけていたスーツ姿だった。
(あ・・・・・・)
じろじろと眺めているのがよくなかったのか。彼はカリムを横目で見るとすぐに視線をアズールの方へ戻した。とてもじゃないが、自分自身に好感を持っている客とは思えない。ここには素晴らしいドールもそのパーツもたくさんある。現在起動しているのはカリムだけだが、彼の目的は他にあるみたいだ。3人の知り合いなのかもしれない。ビジネス仲間か、友達か・・・。
(邪魔しちゃ悪いよな)
カリムがその場から離れようと、店と家が繋がる渡り廊下の出口へ向かおうとしていると、背丈の高いジェイドとフロイドに行く手を阻まれた。
「?」
「な~に、ラッコちゃん、もう家に戻るの?」
「お客様ですよ、カリムさんに」
(オレに?)
疑問に思い振り返ると、アズールと彼がこちらを見ていた。
「あまり怖い顔なさらないでください。カリムさんが警戒してしまいます」
「そんな顔をしているつもりはない」
「ウミヘビくん、ウケる」
「ふふっ」
(ウミヘビくん?)
どうやら彼の名前らしい。フロイドはジェイドとアズール以外のモノや人に対して、海の生き物に擬えた名前で呼ぶことがある。特に親しい相手だと尚更だ。彼は、フロイドの友人なのかもしれない。ひとつまとめにされた長い黒髪は、艶めきがあって美しい。それに表情だって物静かで、頬の輪郭が細くて。
「ッ!」
「おっと」
じっと見ていて気付かなかった。いつの間にか距離が詰まり、伸ばされた彼の指が、頬に触れそうになって思わず後退る。カリムは、後ろにいるフロイドに支えられるような形で足元が躓いた。
「ウミヘビくんって案外手早いよね」
「誤解のある言い方をするな」
頭上で交わされるやりとりに、カリムはきょろきょろと視線が彷徨う。彼はもう一度手を伸ばしカリムの首元で触れかけようとした指を止めた。
「・・・綺麗だな」
ぽつりと呟かれた声に心臓の歯車が軋む。はっと息を飲むと、漆黒の瞳が真っすぐに見つめていた。・・・と、思ったのもつかの間、視線が下がる。
そうだ、この服のことだ。これは、ジェイドとフロイドが知り合いの有名なデザイナーにオーダーメイドで作らせたものだった。たしかブランド名は『フェアリー・ガラ』。店で初めてのドールだから、とアズールが張り切って仕立ててくれた。ヒールが高めの靴にも拘りがあって、これはジェイドとフロイドが丹精込めて作り上げてくれた。この世でたったひとつしかない大切な服飾だ。もっと見てほしい!と、足底を少し浮かせて見せる。髪飾りやピアス、手首のアクセサリーに、きめの細かい装飾、見てほしいところはたくさんある。笑みを浮かべて、身振り手振りしていると、彼はまた眉間に皺を寄せた。
「そういう意味じゃない・・・と、言っても分からないだろうな」
彼は手を下げて、ため息を吐く。人間が考え、感じることは、この店で生活していくうちに、人のことは分かってきたつもりでいたが、所詮外部の誰とも契約していない自分には計り知り得ないことがたくさんある。人になれば理解できたのかもしれない。ドールである自身の環境については何の不満もないはずなのに寂しいと感じるのはきっと、贅沢な話なのだ。
「さ、ジャミルさん。こちらが仮契約証になります。今からお話しする条件は、カリムさんもきちんと聞いておいてくださいね。ジェイド、お茶と・・・それから、まだケーキは余っていますか?」
「ええ、お二人分あります。ダージリンを淹れてきましょう。ケーキに良く合いますよ」
「よかったねえ、ラッコちゃん。ケーキ食べられるってよ?」。
「・・・おい、そろそろ離れろ」
後ろから抱きしめてきたフロイドが頭上に顎を乗せくるので、見上げてみると、にやりと笑う瞳と目が合う。黒髪の彼は、面白くなさそうな顔でカリムとフロイドを見やる。また、何か気に食わないことがあったみたいだ。不機嫌そうな顔を隠すつもりもない彼は、アズールに案内されて歩を進める。
(ケーキが食べられる?皆と一緒に?この人は誰と仮契約するんだ?)
フロイドに後ろから肩を押されて促された行先は応接室だ。えっ、と驚いて先を行くアズールと彼を見る。察してくれたのか、アズールは契約証をひらりと翳した。
「ジャミルさんは貴方と仮契約に来たんですよ、カリムさん」
『カリム・リーチの仮契約同意証明書』
証明書に光る銀色の文字が、俄には信じられないでいた。この名は、ジェイドとフロイドから貰ったものだ。『カリム』とは、2人が大切に想っている友人の名前から由来する。譲渡することを前提に作られておらず、店を開く際の一体目のサンプルドールとして作られたはずなのに、契約書がこうして存在していたことには驚いた。アズール、ジェイド、フロイド、それから・・・
「ジャミルさん、こちらにサインを」
ジャミル、と呼ばれた彼はアズールに差し出された万年筆を手にすら、とサインを記した。店に来たときから、アズール達と交わされる小さなやり取りから彼らの知り合い、否、もしかしたら親友なのかもしれない。そんな親しい雰囲気は感じていた。オレの知らない、親友たち。フロイドとジェイドとアズールは、家族のようなものだ。親友と呼ぶには少し違う。
(オレには親友と呼べる人なんて…)
少しだけ心臓部分がちくりと傷んだ。
「はい、どうぞ。カリムさん」
応接室のソファーに座っていると、部屋に入ってきたジェイドが、召し上がってください、と苺の乗ったショートケーキを運んできた。目の前に置かれて、思わず口が緩んでしまう。これが、ジェイドとフロイドがよく食べているケーキだ。ジャミル、と呼ばれた彼がサインをしてくれたおかげだ。人と仮契約を交わすと、人と同じものを摂取しても良い。そんなルールで作られたドールは少々不便な生き物かもしれないが、同じものを食べられる、というのは嬉しい。見様見真似のいただきます、という仕草をしてフォークを手に白いクリームに覆われたスポンジを上から掬おうとしていると、横から手首を掴まれた。
「!」
「・・・すまない」
ジャミル、と呼ばれたその人の手だった。咄嗟の行動のように見えたその手を、バツの悪そうな顔して、すぐに放す。これからオーナーになるかもしれない人。もっとよく知らないといけない。目の前のケーキにはしゃいでる場合じゃなかった、と、カリムは首を横に振った。
「・・・お前が謝る必要はない」
視線を外されたその先で、ジェイドとアズールが互いの顔を見合わせた後、こちらを見て苦笑した。
「心配性なんですね」
「過保護ですね」
「・・・うるさいな。それを食べたらすぐにここを出るぞ、カリム」
契約証の控えを渡されて、ジャミルは持っていたビジネス用の鞄に仕舞いこんだ。心配性、過保護の意味はよく分からなかったが、なるほど、少しせっかちな人なのかもしれないなと、慌ててケーキを頬張った。甘くておいしい。ほんのりと優しい甘さが口中に広がった。ジェイドの淹れてくれた紅茶もいつもより何倍も美味しく感じられる。
「それでは改めて、口頭でも説明しますよ」
アズールの声に耳を澄ませる。
「仮契約とは所謂お試し期間のための契約です。期間は明日から三日間。この間、カリムさんは食べ物の摂取を許可されます。まあ、今日は特別に古くからの友人として、免除させて頂きますので、具体的には食物の摂取は今日からで大丈夫です。本契約を交わすまでは、声帯と体温はカリムさんには追加されません。あくまで、仮契約。ジャミルさんはこの三日間は仮のオーナー、となります。三日間後の翌朝には必ずご来店ください。その際に問題がなければ本契約の証明証をお渡しします。ご来店までに答えを見つけ出してくださいね。貴方も、カリムさんも」
こくりと、頷いて見せる。所有者にもドールにも権利を与えてくれる証明証の本書をアズールは丁寧にファイリングすると席を立った。最後の一口のケーキを食べ、紅茶をこくんと、飲み込むと待っていたようにジャミルもコートを羽織り、鞄を手に持つ。右のポケットからは、革のキーケースが出てきた。エンブレムのついた鍵が揺れる。そうだ、急がなきゃと自分も席を立つと、ふ、と吐息が聞こえた。
「慌てなくてもいい」
背を追いかけるように歩くと、表情は見えないが優しい声が聞こえた。
***
ジャミルの運転する車に乗り、見えてきたのは雪のように白い壁で造られたコンパクトハウスだった。車庫に停めてくるからと、先に車から降ろされて、玄関先にある数段しかない階段を上る。玄関の扉まで真っ白で驚いた。ドアノブは黒。唯一の色だった。すべてが潔癖を思わせるそれに、ジャミルは白が好きなのか。白のどんなところが好きなのか、想像してみる。アズールの店やフロイド、ジェイド達と暮らしている店はいろんな色で溢れていた。例えば、深い海の底を思わせるような青や、澄んだ空を思わせる水色の壁紙に、リビングにはジェイドが好きで集めているという色とりどりのキノコのぬいぐるみやクッションが置かれていたりする。この家の中はどんな物で溢れているんだろうか。瞳を閉じて考えに耽っていると、後ろから階段を上がる靴音が聞こえた。
「カリム、寝てないか?」
ゆっくりと瞼を開けてくるりと振り返ると、ふらりと身体が横に揺れた。ジャミルが手を伸ばし、肩を抱くと開いたはずの瞳はまた閉じられた。
(アズールの奴・・・)
ジャミルに体重を預け、寝息でも聞こえてきそうなカリムを抱き上げる。通常は仮契約を交わしたその日からお試し期間という制約が始まるはずだ。だがカリム・リーチの三日間は翌日から。仮契約を交わし、すぐさまケーキを食したカリム。それから家の中に入るまで持たなかった眠気。仮契約を交わした直後に人の造る食物を口にしたドールはつまるところ、身体の動きを制限する仕組みに作ったのだろう。これを不良品と呼び返品するようにも仕向けたのか。発案者はジェイドか、フロイドか。店主は試す気だったのかもしれない。
(何が、古くからの友人だ)
今世でもいけ好かない奴らだと思いながら、ゼンマイの切れたオルゴールのように動かなくなったカリムを抱いたまま片手で寝室の扉を開いて、照明のスイッチを押す。部屋中にオレンジ色の灯が広がる。
1人で住むには広すぎるこの家の中には部屋が3つある。賃貸契約であるが、この地域の物件にしては築年数が経過しすぎていて思いのほか安く済んだ。年数が経過しているのだけが欠点で、内装は上等な造りをしている。住み心地は良い方だ。休日には、芝生だけ敷いてある広い庭でハンモックを出して書籍を読みふけり、飽きたら睡眠を貪ったりもするのが案外、悪くなかったりする。
早く見せてやりたい。ハンモックなんて、見たことないだろうに。ベッドにそっと寝かせると、ようやく、寝息に似た呼吸が聞こえてきた。頬と唇に指を滑らせると、何の凹凸もない滑らかな皮膚肌が呼吸音を響かせる。たしかに体温はないが、前世のカリムを表現するには十分な出来だった。
頬の輪郭をなぞり、唇を寄せる。薄いその口唇にそっと口づけた。はらり、と、長い黒髪がカリムの小さな喉仏を擽った。
「・・・おやすみ」
また、明日。