ネテモサメテモ。

同人置き場

やがて晴天へ

「果実はほとんどのものに、種があるんだ」
 その人は葡萄を一粒摘み、皮を剥いていく。小粒だが、中からいくつかの細かな種が出てきた。

「旦那様もカリム様も、以前喉を詰まらせたことがあってね。一粒の種だって許されない。私たちの仕事は、そういうものなんだ」
「…はい。」
 隣に並んで、艶の良い赤色の林檎を手に取る。ナイフの扱いに慣れてきたジャミルは、皮を剥き終えると縦に半分に切り分ける。柄の持ち方を変えて、中から出てきた黒い種を取り除いた。

「期待を裏切ってはいけないよ、ジャミル。食事を任されたということは、アジームからの信頼の証だ」
 同じように信頼されているこの人は、アジームの話となると緊張感を身に纏うような他の大人たちとは違う。優しく、纏う空気は穏やかで柔らかく…カリムもジャミルも心を許しているうちの1人だった。
 綺麗に取り分けられた林檎を見て、その人は笑顔を見せてくれた。

「上手になったじゃないか!次は、デザートだけでなく、昼食の手伝いもしてもらおうかな」
「は、はいっ…!」
 はにかむジャミルの頭を撫でる手つきも優しい。

「さあ、カリム様に持っていこう」
 たくさんの果物が乗せられたプレート。どれも一級品のものではあるが、アジームの食卓に並ぶには少々見栄えは地味だ。けれど、カリムは、その人とジャミルが選び並べたものだと知ると目に見えて安堵の表情に浮かべ、嬉しそう気に目を細める。

 やりがい、とはこういう物かもしれないと感じられたのは、10歳を迎えた頃。
同い年だから、今後、家の監視のない学校に通うこともあるかもしれないとアジーム側の命令ではあったが、カリムのために料理を覚え始めた。教えてくれる彼は、長年アジーム家の食事管理を任されている、人望のある人。幼い子供相手でも必ず目線を合わせて、平等に接する。隙間時間ができれば、カリムの兄弟たちはじめ、ジャミルの遊び相手にだってなってくれる。
 博識で、変に子供扱いをしない。だが、嫌みは全くない。彼の大きな掌で頭を撫でられるのが好きだった。

「ッ、がはっ…」
「…カリム?」

 彼の用意した食事を口に含み、カリムが口から泥のような血を吐き、倒れるまでは。


***


 白蛇が空中を舞う。カリムの頭上にだけ、嵐のような雨が降り落ちる。まるであの頃の泥血を流しきるように。祈りを捧げるように両手を組み、虚な表情をするカリムの身体全体に、ヴェールを思わせる無数の白蛇が舞う。ターバンは解け、首元へと収まる。そんなに、巻きついてしまうと、呼吸が、脈が。

「ボサッとすんな!」
 背後から舌打ちが聞こえて襟元を掴まれ、後ろに倒れる。白蛇が一瞬こちらを睨みつけてきたようで、警戒したレオナは、呆然としたジャミルを後ろに追いやった。カリムの頭上にあった雨粒が横殴りの雨風に変わり、その場に吹き荒れる。

「クッ、視界が濁ってよく見えないわ…!」
「これでは、カリムが生きているかどうかも…」
「生きてますよ。でなければこの雨風の説明の仕様がない」
「えーと、白蛇の数は、10、100…」
「…攻撃をしてこない。人の子と聞いてはいるが、これではまるで…」
 天候を容易くも操る、神の子ではないか。

「ーーーー!」
 マレウスの言葉に、カリムが大きく口を開いた。雨風に掻き消されて、何も聞こえない。白蛇は徐々に集まり、一匹の大蛇と化す。カリムの身体を軸に、ゆっくりと塒を巻き始めた。

 カリムはオーバーブロットを引き起こした。この場にいる誰もが、予想だにしない。理由も、分からない。なにせ、カリムは、オーバーブロットを起こす直前と直後に全く言葉を発しなくなったのだ。おまけに感情すらごっそり抜け落ちたように見える様は、目の前にいるのが本当にカリムかどうかなのかすらわからない程。唯一の判断ができるとするならば、両耳を飾る大ぶりのピアスと、魔法石を中心に置いた髪飾りに、鮮やかな臙脂色のターバン。
 寮長クラスの知識と頭脳を持ってしても、ただそこに存在するだけになってしまったカリムへの対処がわからない。感情の見えないカリムを目の前にして、お前が1番よく知っているはずだろ、と、レオナに振られる。

 そう、よく知っているはずだ。カリムがそうなった原因は。

「…裏切られたんだ」
 ハッ、と鼻で笑われる。

「だったらてめえで後始末しろ」
「今まで、散々、」
「…おい、」
「俺も、あいつを裏切ったに変わりはない」
 カリムにとっての最後の砦を壊し、崖から突き落としたに違いない。
 でもあいつは友達になりたいと笑うものだから、毒を盛られ、誘拐され、命が危機があったとしても、能天気にけらけらと笑うものだから。

 カリムは白蛇にじわりと、覆われていく。

「カリム!クソッ…!」
「やめるんだ、ジャミル!」
 白蛇に向かって咄嗟に魔法を放つと、白蛇は苦痛に呻き声を上げる。リドルはジャミルの魔力を一時的に制限するための呪文を唱えた。ジャミルはリドルをキッと睨みつける。

「なにをするんだ!」
「こちらの台詞だよ。あの大蛇は僕たちに攻撃をしてこない。カリムと一心同体の可能性もある。…おわかりだね?」
「だが、あのままではっ!」
「言いたいことは分かります。ただ、どれほどの魔力を秘めているかわからない。」
「無抵抗のモノを攻撃すると大きな報復を受けるっていうのは万国共通認識っすわ、ジャミル氏」
 アズールとイデアは、傷ついた白蛇に向かって回復魔法を放つ。が、胴と尾を全身で動かしながらそれすらも拒否の態度を示した。

「…完全に警戒されたわ。」
 ヴィルは舌打ちをして、重ねるようにかけるつもりだった回復魔法の放出しようとしていた手を止める。

「…そう、どちらが先に手を出すかはとても重要なこと。正義を示し翳せば、国同士の争いの始まりになる。」
「マレウスにしちゃあ、まともなことを言うじゃねえか」
「キング・スカラー。お前が1番よく知っていることだ」
 レオナは、軽く笑うと、ユニーク魔法で雨風から庇うようにカリムの周囲に砂の壁作り上げる。それを補強するようにマレウスは、木属性魔法で固めていく。カリムと白蛇に一切の雨風が吹き荒れぬよう慎重にかけられた魔法は、小さな城を作り上げた。白蛇は赤い瞳を瞬き、出来上がった砂の城に長い舌を伸ばす。
 塒に一瞬だけ隙間ができた。

 両手を組み、目を瞑ったままのカリムの姿が現れる。今しかない、と、ジャミルは飛び込むように駆け出す。カリムの祈るように組まれた指の、細い手首を掴むと、身体全体に痺れが走った。

「ッ…カリム…!」
「……」
 痺れから確かな痛みへ。どの属性にも値しない魔力に、ジャミルが名を呼び眉を顰めると、虚な瞳がじっと眺めてくる。腰を抱き寄せると、白蛇はカリムに再び巻きつき、ジャミルに対して威嚇の姿勢を見せた。全身が焼き切れそうな痛みを感じるが、血が出るような明確な攻撃も反撃もない。此処に留めようと、カリムに執着する大蛇の紅いつぶらな瞳と視線を合わせて、にやりと笑う。
 ーああ、そうか。お前は。

「こいつは俺の主人だ。返してもらおう」

 カリムを抱き寄せると、白い大蛇は、暴れ狂うように鳴いた。

「オフ・ウィズ・ユア・ヘッド!」
 リドルが叫ぶと、現れた枷が大蛇の動きを封じた。開かれた口から覗く、細長く赤い舌先が、混乱に喘ぐ。カリムが側にいないと分かると、徐々に諦めたように身を投げ出し、蹲った。砂の城の中で、守るモノを失った大蛇は自身に向かって閉じこもるように塒を巻く。

 その様子を、うっすらと、自身の姿に重ねてしまうのはイデアだった。

 大人しくなった大蛇を見て、暫くはこれで良さそうだ、と、リドルはジャミルに振り返る。

「…それで、どうします?この状況」
 アズールはジャミルの腕の中のカリムを覗く。呼吸はできているようだが、違和感を映すのは虚ろな眼だ。

「魂と肉体の分離…」
 ぽそりとイデアが呟いた言葉に、ジャミルが顔を上げる。

「あんた達、経験者でしょ?どんな感覚だったか覚えてないわけないわよね」
 腕を組み、リドル、レオナ、アズール、ジャミルを視線で一層するのはヴィルだった。
 レオナは気怠そうに呟く。

「なんの参考にもならねえよ。毒を外に吐き出せねえ奴は例外だろ」
「…攻撃をしてこないなら明白よね。カリムはその毒とやらを体内に呑み込み続けている。…なんの毒か、この私でもわからない類のものだろうけど」
 ヴィルは、カリムを抱くジャミルに視線を落とす。
 魂がそこにあるのかないのか。カリムは誰の視線とも焦点の当たらない瞳で、空を見ていた。祈りを捧げていたはずの両手はだらんと下がり、ジャミルに身を預けているようだった。

「あった…これだ。魂を呼び寄せるための、夢見」
 イデアは持っていたタブレットの画面を拡大する。その文字に、ジャミルは目を見開いた。

「夢見…?」
「無属性魔法の術式のひとつで、昏睡状態の人間の状況を探るために研究された古代魔法。対象の夢に侵入して、原因を突き止める。ただこれにはリスクがあって、その夢に引きずり込まれてしまうと侵入者もろともミイラ取り。事例はいくつかあるね。とある国では夢見で三途の川を渡ると終わりだ、なんて言い伝えもある。」
「カリムが夢を見ているなんて補償は…」
「ないね。けれどカリム氏の本体側は、目に見えないどこかを彷徨っているのは確かですぞ。あの大蛇は別物だった。要は付属品、おまけってやつ。ラスボス最終局面に出てくる子分。だからあいつを倒してもボスはダメージ受けないよね。あ、待って、そういうゲームがあったから参考に…」
「…ここでじっとしているよりも試した方がましだ。俺が行きます。イデア先輩、方法を」
 対象者の手を握り、目を閉じる。外部から魔法師数人による微量の干渉魔法を夢見侵入者に与える。著しく体力魔力が下がる危険性があるため、対象者侵入者に同時に回復魔法も開放しなければならない。

 ジャミルは静かに目を閉じた。

「本当に、感謝してもらいたいわね」
「感謝だけじゃ足りませんね。それに見合った償いをしていただかなければ」
「ボクはユニーク魔法を使ったばかりだからね。お手柔らかに頼むよ」
赤毛の坊ちゃんはさすが、貧弱だな」
「キング・スカラー、無駄口を叩く暇があるなら魔力を出せ」
「あ"?」
「…ラスボス前は、一致団結が定番ですぞ…」


***


 目を開いて飛び込んできた光景に、はっと息を飲む。
 澄み渡る青空。青く生い茂る地面に彩りを与えて、咲き誇る小さな花々。視線の真っ直ぐ先にある大樹を取り囲むように蝶や花弁が舞う。これがカリムの夢?

「…ふざけるなよ」
 立ち上がって、進む。精神が現世と分離しかけてる人間の夢とはとても思えない、穏やかで気候の良い空気。冷たい雨風も、塒を巻く大蛇もいない。これじゃ現世が地獄だと訴えかけているようで。
「人の気もしらないで…!」
 拳を握り、辺りを見回す。この夢のどこかにカリムが居る。
道標のように佇む大樹にたどり着き、上を見上げる。果実のなる樹だ。なるほど、夢らしく、現実ではありえない種類の実をつけている。
 カリムの好きなココナッツに、マンゴー、それからバナナ、イチジク、桃、…林檎と、葡萄。

「…ジャミル…」
 久方ぶりに耳に響いた声に、振り向く。果実を両手に抱えたカリムが居た。

「…どうして、こんな場所に…」
「…お前を連れ戻しにきた」
 そんな幻想の果実、さっさと捨ててしまえと、手を伸ばす。
「嫌だ!」
 カリムは足を後ろに引いてジャミルを拒絶した。苛立ち、逃げる両肩を掴むと驚いた拍子に両手から果実が地面に落ちる。
「あ、嫌だ、そんな」
 緩やかな斜面になっていたのか、カリムの手から離れ落ちた赤い林檎は転がりゆく。追いかけようとするカリムの腕を掴む。

「放してくれ!」
 カリムは悲鳴にも似た、甲高い声を上げた。

「…よく聞け、カリム。戻ったらいくらでも食べさせてやる。だから、追いかけるな」
「いらない…そんなの、いらない…だって、お前は、オレを裏切ったじゃないか!」
ジャミルの手を払い、その場に崩れ落る。カリムは顔を両手で覆った。全ての林檎が見えない先の芝生まで転がり落ち、消える。
「ここに毒はない。毎日腹一杯の、果実を食えるんだ。」
「たった1人で?宴はどうする。誰を呼べる?」
「もう、誰もいらない。」

 ー最初は、旦那様の第二夫人の子息関係だったか。カリムの次男にあたる血筋の。
グラスの淵に毒が塗られていた。問いただすと、『私の子のほうが優秀だから』
 次は旦那様との商談でよく邸宅を訪れていた人物。カリムは外部の大人としゃべるのが楽しかったそうだ。ある日差し出された袋の中の菓子を摘んで、口に含むと、瞳孔が開き、息が止まった。問いただすと、『カリムに間違われて誘拐された息子は、精神に異常をきたした。二度と外には出られない。同じ気持ちを味わって欲しい』

 その次、アジーム家の料理番。誰しもが慕う人だった。ジャミルに料理の基礎を教えてくれたのも彼だ。人格者だった。だが彼には病弱な幼い子供がいた。満足に歩けず、息をするにも困難で。どれだけ金を積もうが、治療には限界があった。その子供が亡くなった翌日のことだ。彼は変わらず、カリムに食事を運んだ。ジャミルが覚えたばかりの包丁で捌いた、デザートの果実をプレートに添えて。
 食事を口にしたカリムは、これまでと比べ物にならない量の血を吐き、昏睡した。問い詰めると、

『息子が亡くなりました。私はカリム様をまるで自分の息子のように大切に思っておりました。ですから、息子だけあの世に行くのは不公平でしょう?旦那様』

 彼は、国の管理された然るべき場所へと連行された。そのあとどんな刑に処されたのか、カリムとジャミルには、知る由はなかった。

 芝生に蹲り、震える体を抱きしめる。

「放せ、命令だ!」
「聞けない」
 主人が身動ぐほどに腕に力を込めてやる。対等ではない相手に対して随分な態度だとは思っている。
 だがこの哀れで幼い主人を罵倒する気にはなれない。

「誰もいらないなら俺だけを欲しがれよ」
 耳元で囁くと、カリムはぴたりと抵抗を止めた。胸の鼓動がよく聞こえる。
「食事は俺が用意する。いつもと変わらない。2人でも宴はできるさ」
 たしかに裏切った相手の顔を見る。この世に絶望した、濡れた紅い瞳。現実ではもっと濁った瞳を宿していたように思う。
 止めどなく溢れ出る涙を指で受け止める。冷たいのに、あたたかい。

「…俺は、俺たちは、友達だから。」
 毒を盛る理由なんて、ないだろ。

「うそだ」
 信じられない。

「信じなくてもいい。俺はお前を連れ帰れば、それで。」
ジャミル、嘘つかないでくれ」
「…お前に嘘はつかない」
 少なくとも、あの姿を目にした今の自分に嘘をつけるだけの自信はなかった。ここでそんなことをしてしまえば、現世に残る優秀な魔導師たちになんと言われることか。
ジャミルは、カリムの顎を取り、ゆっくりと顔を傾けた。
 触れるだけの口づけをして、離す。

「あっ…」
「これも、嘘だって言うのか?ご主人サマ」
 瞳を細めると、ぐしゃりとした涙が溢れ出た。頬に添えた手が冷たく濡れていく。カリムは子供みたいにしゃくり上げた。

「信じさせてくれ、ジャミル
 首元にカリムの腕がかかったのを、確認して、抱き上げる。果実しか摂取していない身体なんて、軽いに決まっている。

 風が強く吹き荒れた。大樹の葉が揺れ、芝生の花々は散る。ジャミルはここに来て初めてその光景の繊細さが綺麗だと思い、悟った。
風に吹かれて、大樹の先にある果実がぼとりと音を立てながら落ちて消えていく。
ジャミルの腕の温もりに安心しきったカリムは、もうそれには手を伸ばせない。

「…世話のかかる奴」
 白く光る上空の色は、夢の終わりを暗示していた。


***


「う…」
 重い目蓋を開いて、体を起こし、辺りを見回す
砂の城の中の大蛇は消え、雨風も止んでいた。ここは学園の庭だ。元通り、青い芝生も蘇っている。
 握り締めた手の先にはまだ眠るぬくもりがある。夢見をする前と比べて顔色はよく、口元は笑みさえ浮かべているように見えたが。

「まぬけ面」
 どっと、力が抜けた。
 呟いてからカリムの隣に寝そべる。背中に感じる雨に濡れた雑草は、青空を眺めれば不思議と不快感がない。
 ふっと、影が出来る。

「のんびりしてる場合じゃありませんよ。学園長にはどう報告するおつもりで?」
「あー、俺は帰る。かったりぃ」
「ちょっとレオナ!あんたアレ片付けなさいよ!どこもかしも砂だらけでしょ?!」
「レポートはしっかり書かないと…ボクらの寮全体の評価にも繋がる」
「連帯責任とか、無理ゲー…」
「ふむ。やはり人の子だったか…見間違えたかな」

 頭上で口々に始まったやり取りを聞き流し、横に眠るカリムを見つめる。
 涙の跡が残る頬をジャミルが優しく撫でてやると、ふわりと口元が緩んだ気がした。 

 ジャミルは明るさを取り戻した空を見上げて、早く、甘い果実のような笑顔を拝みたいと、願わずにいられなかった。