ネテモサメテモ。

同人置き場

密やかなる

 年末の恒例行事になったのは、たしか十年以上前か。あの頃は、参加することもましてや仕事を任されることもなかった。子供は子供らしくと、チャイルドルームに押し込まれて、ただ子供らしい遊びをするだけ。大人達の世界に入ることもない。

 黒のスーツを着込んで右耳に無線のイヤホン。いつ何が起こってもいいようにと背広の内側には様々な魔力を込めた武器を仕込んである。
 そうして、アジーム家主催の大掛かりなパーティー会場の入り口で目を光らせる。
 この日ばかりは従者としてではなく、NRCも卒業して20歳を超えたということもあり、従者よりは比較的危険を伴いがちな護衛人としての役割を任される。特に魔法を使える者は特別で、そういった使用人兼護衛人仲間がアジーム内には何人か居た。
 そのうちの1人と目が合うと、人差し指で耳元を差してきたのでイヤホンに耳を澄ませる。

『交代しよう』
「まだ時間じゃないぞ」
『いいから。…先ほど、ゲストルームに向かうカリム様を見かけた。1人じゃない。意味は分かるな?』
「…ありがとう、助かるよ」
『礼は…そうだな、妹殿とのデート権なんてどうだ?』
「馬鹿言うな。誰が許すか」
『手厳しいなあ』
 無駄口をたたくな、と無線の電源を切ると仲間はなんとも飄々とした笑顔を向けてくる。こいつに兄さんと呼ばれる日が来るのか?冗談じゃない、と、眉間に皺を寄せたまま、その場を後にする。どうせひらひらと手を振っていることだろう。借りを作るのは気に食わないが、あとで美味い賄いでも作ってやろう、とは少しだけ思う。

 長い廊下を履きなれない革靴で進み、窓から見える大きな樹体を横目に足早になる。ゲストルームの数は多い。熱砂一の富豪が主催しているのだ、普段使われていない部屋もすべて開放してある。社交会場から一番近いラウンジのある棟に着く。辺りを見渡すと、数人の客人。ゲストルームはその奥、小階段を上がってすぐだ。上客向けに用意されている部屋が見えてきた。
 朝、従者として整えてやっていたはずのターバンが解けて、肩に掛かっている姿が見えた。なにやら足取りも覚束ない。
 仲間に教えられた通り、カリム1人ではなかった。扉を開けて、さあ、と、腰を抱いているのは見知らぬ上客だった。

「カリム様」
姿勢を正して声を掛けると、客人の肩がびくんと跳ねた。今にも二人きりの世界に浸っていたいような表情だったが、それが一気に崩れて青ざめる様子が覗える。
細い息を吐いて、カリムは目を丸くして俺に気付いた。

「探しましたよ。いかがなさいましたか?」
「あ……酒に酔ってらしたようでね!少し休憩をと」
「そうですか。ご迷惑をおかけしたようで」
「いや~、迷惑だなんて!僕はこれで失礼しよう、ははっ」
「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません。さあカリム様、お気を確かに」
「ん……、悪い……」
 腰に回されていた手をぱっと放されて、よろけた足取りのカリムの肩をぐっと抱く。上客は乾いた笑いを浮かべると、そそくさとその場を去った。その後ろ姿をじっと睨んでから視線を戻すと、カリムの頬も耳も赤く色づいているのが見えた。

「…少し夜風にでも当たって酔いを冷ましますか?」
「いや……。このまま、部屋へ戻りたい」
 上目遣いで見上げてきた瞳があまりに綺麗で嫌気が差しそうになる。気持ちを、抑えて、俺は弱弱しいその背中に手を回してまどろっこしい歩みを促す。このまま抱き上げたほうが早いが、と思うもののカリム本人に歩く意思があるので仕方なくその希望に答えてやることにする。

「…種類は」
「…自白、睡眠導入の一種だ。媚薬も少し入ってたのが厄介だったな。…毒じゃないならいいかと油断した。まさか即効性だとは思わなくてさ、持ち合わせの解毒じゃ間に合わない。ちょうど、ロウが通ったから…」
「目配せしたのか」
「…うん。お前、あいつと仲良いだろ?妹とは、どうなんだ?」
「…今、その話はいいから。もう少し早く歩け」
 ゲストルームが並ぶ廊下を渡り、会場の灯が零れる中庭を抜けると関係者以外立ち入り禁止区域になる本邸の入り口が見える。使用人のみが知る防衛解除魔法を小さく唱えると重厚な扉が開き、中に入ると自動的に閉じた。
 人気がないことを確認して、いよいよ足元がおぼつかなくなってきたカリムの両膝裏に手を差し入れて一気に抱き上げると、弱弱しい力の細腕が首元に回される。
 この瞬間は、正直、嫌いじゃなかった。自分にしか縋れないようで居て、気分が良い。自然と口角も上がる。

 歩く速度を少し早めて、本邸に入ってすぐのところにあるカリムのためだけに用意された避難所ともいえる部屋。熱砂一の富豪を名乗るアジーム一族の本邸宅には数多くの部屋や棟が存在する。侵入者を惑わせるために魔法を使って用意された所謂フェイクルームすらも、把握できないほどに数が多い。次期当主様に位が近づけば近づくほど、長男様に与えられる部屋は、自室、執務室、寝室と、徐々に増えていく。
主を抱き上げて近づくだけで、扉は自動的に開く。部屋奥に向かって歩を進め、カリムを備え付けのベッドの縁に降ろすと、静かに扉が閉まった。念のため、指先で魔法を翳すとカチリと鳴る鍵音と共に防衛魔法が掛けられたことを目視する。

 早速キッチンラックからグラスを取り出し、上着の内側に仕込んであった数種類の小瓶の蓋を開けて数滴ずつ零した。自白、睡眠、媚薬、それらを解毒させるための道具だ。即効性と言っていたから、魔法薬指南書に記載された量の倍以上の調合が必要だ。美味しそう、とはとても言えない色味の液体が完成し、仕上げに、指で少し爆ぜてやる。皮膚肌には影響はないようだ。

「カリム、飲めるか」
 座り込んでいるカリムの元へ解毒剤入りのグラスを運んでやると、こくりと頷く。手に取ると、それを一気に飲み干した。息を止めて飲み込んでいたせいか、飲み終えると大きな息継ぎをして眉間を寄せ、俺に向かって赤い舌先をちろりと見せてきた。

「…まずい…」
「わがまま言うな」
 空になったグラスを取り上げて水場で軽く流すと食器入れの中へ戻す、上着を脱いで部屋隅にあるラックに掛けていると、視線を感じて振り返る。
ぼんやりとした瞳で見つめてきたカリムがまずい、と宣った唇を開いた。

「ありがとう、ジャミル。助かった。持ち場に戻ってきていいぞ?まだ仕事が残ってるんだろう。オレはここで少し休憩したら会場に戻るからさ」
「もう用無しってことかよ」
「そんなつもりで言ったわけじゃ…」
「アジームの護衛は俺以外でも務まるんだ。ロウや他の使用人でもな。魔法が使える人間なら問題はない」
 隣に腰かけると、二人分の重みでベッドは沈む。特効薬などそう簡単には作れない。まだ熱の籠った瞳で見つめてきて、戻っていいなんてよく言えたものだと少し感心する。

「あっ…」
 頬の輪郭を撫でてやっただけでこれだ。熱っぽい視線としおらしい小声。俺の手を制止しているつもりなのか、手首を緩く握られた。薄い唇が小さく開く。

「…あのお客さん、最近アジームが開拓した海外エリアの話が聞きたかったみたいなんだ。とーちゃんって国の有識者会議にも招かれてたろ?外交ルートの内容も知りたかったのかもな。とーちゃん本人に盛るわけにはいかないから、視察に参加してたオレに目を付けたんだろうな」
「だから、自白剤が混ざってたって言いたいのか」
「そうだろ?」
「媚薬の説明がつかない」
「相互作用があるんだろう。秘密を言いやすくなる、とか…んっ」
 蒸気した頬に赤く映える唇、濡れたガーネットレッドの瞳、それから妙に熱っぽい声音。明らかに媚薬が多く調合されてたのは目に見えて分かるはずだし、カリム本人も自覚しているくせに鈍感な振りをしようとするのが気に食わない、と、下唇に親指を這わせる。どう考えても大げさに、身体が反応している。
 この熱を、1人で解決して、しれっとした顔で会場に戻る気だったのだ、こいつは。

「此処の護衛は五万と居る。けど、お前の従者は俺だけだ」
ジャミル…」
「少しくらい、」
 1人だけの問題でないと、自覚させるにはどうすればいいのか。顎を掴んで上向かせると、困惑したように形の良い眉尻が下がる。半開きになった唇のせいで、どうにも締まりのない惚けた顔になってしまっているが、これは自分にしか堪能できないものだと思うと、胸の奥から歓喜の噴水が湧き上がってくるような作錯覚に囚われる。
 カリムはそういう幻覚を魅せるのが、異常に上手い。

「お前の特別だって、思わせろよ」
「んぅ…」
 舌と唇を滑り込ませて、肩を少し押しただけで、火照った身体はあっけなく後ろに倒れる。高級な素材で造られた寝床など、少々力を込めたところで身体を傷つけることはあり得ない。苦しかろうと、首元まで埋まった衣服のボタンを外してやると地上での呼吸法を覚えた人魚みたいに、唇を離した途端に安堵した息が吐かれる。
 見えてきた鎖骨に口づけを落としていると、細い指先がまたしても俺の動きを制止してきた。

「待って、ジャミル…仕事に戻れって、ロウが待ってるだろ!」
「こんな時に他の男の名前を出すな」
「んっ!」
 よりにもよって妹の恋人の名前だ。興覚めする、と首筋を吸いついてやると耳元付近が弱点のご主人様はすぐに抵抗をやめてしまった。また、気分の良い瞬間が来た。
さあ、もう一度。
 唇を離して真っ赤に熟れた表情を堪能したくて、手を付き、見下ろしていると窓の外が一瞬白く光って見えた。

大きく光った空から、ぱらぱら、と、小さな光の三原色が舞い落ちる。
休む暇もなく次々と打ち上げられるそれに、視線が奪われた。

「もう花火の時間だ…とーちゃんに怒られちまう」
「…怒られるだけで済むならいいが」
 今回のホストリーダーは長男であるカリムだ。その長男様に手を出した従者なぞ、いつ殺されたっておかしくない。事情後にカリムにそう伝えた時、冗談だと受け止められて「とーちゃんはそんなことしない」と、返されたことがある。
 旦那様にとって目に居れても痛くないはずカリムが、従者との逢引のために終盤の時間に会場に居なかったとなるといくら寛大な御方といえど少々のお叱りがあってもおかしくはない。罰としてもう1つ、二人して商業ルートを新たに開拓してこいだの、無茶を言われるかも。
 組み敷いていた身体から離れると、さすがに華やかな花火をじっくり見たいと思ったのか、カリムも同じようにベッドからその身を起こした。着崩された衣服は戻さずに、窓から空を眺めて、俺に視線を戻す。

「一緒に怒られてくれるだろう?」
 窓ガラス越しに星空の光を浴びる幼馴染に、返事の代わりと少し長めの口づけを落とした。